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三国志正史と三国志演義
ここでは三国志というのは何かということについて語っています。
古来中国では後漢の司馬遷(しばせん)が「史記」を書いて以来、一つの王朝(唐や漢や隋など)が滅びるたびに
次の王朝が前王朝の歴史書を編纂するのが慣わしになっていました。
そして三国志というのは紀元後2世紀末から紀元後3世紀になって三国が滅びるまでのことを書いたものです。
そして、その三国志という時代について書かれたものがこの三国志正史と三国志演義です。
他にも、あるにはあるのですが知名度が格段に違うのでここではこの二つについて説明します。
三国志正史

国により正式に認められた歴史書を「正史」と呼んでいます。
この「正史」を作ることにより、その王朝が前王朝を正当に受け継いでいることを照明しています。
三国志の時代(以後三国時代と呼びます)の正史、「三国志」の著者は陳寿(ちんじゅ)という人です。
この人は蜀という国の人で蜀が滅びると、蜀を滅ぼしてさらには三国を滅ぼした晋に仕えました。
そして、晋は三国の一つ魏から政権を受け継いでいるので陳寿は魏を正当な王朝としています。
「三国志」は魏について書いた「魏書」30巻、蜀について書いた「蜀書」15巻、
呉について書いた「呉書」20巻の構成です。
書いている内容は「何年に何が起こったという」書き方ではなく、
伝記のように一人の人物について書く「紀伝体」という方法を使っています。
しかし、陳寿の「三国志」は文章が簡潔だったので分かりにくいという欠点が合ったのです。
これを100年経って再編纂したのが中国南北時代の裴松之(はいしょうし)です。
陳寿の入れなかったエピソードを取り入れて、解説などをしてこれを現代では正史「三国志と呼びます。
三国志演義
14世紀の文学者羅貫中(らかんちゅう)は正史「三国志」をベースにして、
当時の講談などで語られたフィクションをかなり入れた歴史小説「三国志演技」を書きました。
この「三国志演義」は蜀を正統にして、仁君「劉備(りゅうび)」対奸雄「曹操(そうそう)」
という図式を持ち出して、これは後世でも色濃く残っています。
その証拠にベストセラーとなった吉川英治の小説「三国志 」から三国時代に興味を持った人もいるでしょう。
その他にも株式会社「KOEI」の真・三國無双シリーズも「三国志演義」を元にしています。


三国志正史と三国志演義の見分け方

ほとんどの方は「三国志演義」から三国志に入っていると思います。
これにも理由があります。あまりにも「三国志演義」が日本人も含めて、人気になったからです。
そしてこのページの主題見分け方ですがとても簡単です。
劉備、関羽、張飛が義兄弟ということが書かれたり、桃園の誓いという単語が入っていたら
それは「三国志演義」です。というのも「三国志正史」にはこれは書いてないからです。
さて、これでどちらを読んだことがあるか分かりましたでしょうか?
ちなみに北方謙三の小説「三国志 」から入った人は「演義」か「正史」かは微妙なラインです。
あとこれを読んでも自分がどちらか分からなければ掲示板かメールなどで気軽に聞いてください。



主要参考文献
三国志が面白いほどわかる本(三宅祟広)
三国志正史(陳寿)
三国志演義(羅貫中)


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